《1万倍大坪》【告白】元保険営業マンの起業ストーリー(その2)。「有頂天」から「足をすくわれる」まで

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元保険営業マンの起業ストーリー(その2)
「有頂天」から「足をすくわれる」まで

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(前回からの続き)

2005年にスペシャルオリンピックスに参加してから12年が経過した。

私は1社専属を卒業し、乗合代理店の東京支社長を経て、保険営業パーソン向けの教育支援会社を経営していた。

2017年に、知人経由で、ある障がい者福祉の共同経営の話が持ち込まれたのだ。

「私の知り合いが、グループホームというのを経営してるんですけど、これがめっぽう面白いんですよ」

当社のオフィスに来てその知人は言った。

「ほう、それで?」

「で、その人と私と大坪さんの三人で、関東で一緒にやりませんか?」

詳しい話を聞くと、さらに興味をそそられた。

一般の人が抱く福祉事業は、こんなイメージではないだろうか。

・現場仕事であり、肉体的にハード

・残業や休日出勤が多い

・それでいて収入は低い

・福祉業界という専門家たちの世界であって、自分とは関係のない世界

という感じだよね。

それは私にとっても同様だった。

少なくとも自分が関わるイメージは全くなかった。

が、この時持ち込まれた「障がい者グループホーム」は、そのイメージと全然違った。

簡単にいうと、こういうビジネスモデルだ。

・障がい者さんに住まいを提供することを国の代わりに行う事業

・住宅を確保して、そこに食事を提供するなどの基本的なお世話をする人材を配置する

・その報酬を国からもらう、

という、とても分かりやすいモデルだ。

住宅は賃貸住宅でOK。(場合によっては市営住宅などでも開業可

だから初期投資がかなり抑えられるので参入の心理的ハードルが低い。

障がい者総合支援法という法律に基づき、民間に委託されてなされる事業だから、国から確実に「現金」で、毎月決まった期日に収入が振り込まれる。

その手堅さも気に入った。

例えば、保険のビジネスは、毎月の頑張りで売上と収益が左右される。

大きく儲けることが可能な代わりに、収益は不安定だ。

ちょっと手を抜いたら売上がドーンと落ち込んで後悔したなんていう経験があなたもあるかもしれない。

だから、確実な収益の柱をもう一つ持つのはとても魅力的だ。

言葉で書くと長いが、そんな考えが過ったのは一瞬だった。

「面白いですね。でも念のため、決算書も見せてもらっていいですか?」

財務データはきちんとまとめられていて、これも私は好感を持った

中身を見せてもらうと、確かに高収益だった。

そんな経緯で、2017年に共同経営をすることに決めたのだった

この時、私はMDRTやスペシャルオリンピックスでの感動など全く忘れていた。

つまり、純粋に会社経営の収益を安定化するのが目的だった。

一旦気持ちを決めると、素早く動いた。

株主間の出資比率を決め、当社の執行役員を社長に任命した。

共同経営者たちと車を飛ばして物件を視察した。

開業地と決めた千葉県は住宅の賃貸物件が多く、しかも家賃が安い

初回の視察で、3件の候補物件を内見した。

状態の良い2物件を、その日のうちに仮契約した。

築古な物件だったこともあり、家賃は、それぞれ「5円」「7円」と、格安だった。

幸いなことに、すぐ身近にサービス管理責任者候補も見つかった。

物件、人材と最も重要な二つの要素がスムーズに決まった。

そしてもう一つ重要なのが資金調達だ。

他業種に比べて、保険をはじめとする金融ビジネスは、融資制限があり、資金調達がしにくいビジネスなので、

資金調達をしてビジネスを起こすという発想が乏しく、私も含めて内部留保を積み上げていくという発想がメインだと思う。

それに対して、福祉業界の発想はまるで違う。

そもそも、国が徹底した支援を用意している。

資金調達が実に楽なのだ。

まず、政策金融公庫にはソーシャルビジネス融資という特別な融資枠がある。

福祉業界での経験値がまるでない私でも全く問題なく、たった2回の面談で1,000円の調達ができた。

また、売上の8-9割が国から入るという手堅さが金融機関から評価を受けているので、民間の金融機関からの調達も他業種に比べてはるかに簡単だ。

その上、補助金、助成金が実に手厚い。

つまり、国や金融機関など他人のお金で起業して、行政の支援を得ながら経営するというビジネスモデルなのだ。

こうして、物件、人材、資金のハードルをクリアすることができた

社長はじめチームメンバーが何度も現地まで足を運び、物件の修繕など頑張ってくれて住宅内部の環境も整った。

こうして、トントン拍子で準備が進み、半年足らずで行政からの指定申請をめでたく勝ち取ることができた。

いま思えば、きっと私の見えないところでメンバーたちは大変だったと思う。

しかし、私は、本格的な起業、それも共同経営という新しい体験に高揚し、有頂天になっていて現実が見えていない状況だった。

「なんだ、案外大したことないじゃん」という、あまりにも甘い私の認識が、後に私の足をすくうことになる。

(次号に続く)

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