《1万倍大坪》【悲報】大事な人に去られました。

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保険営業マンの多角化・起業ストーリー(その6)
「大事な人に去られました」

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(前回からの続き)

前回のメルマガでは、グループホーム事業を「たった2年」で手放した私が、その次の機会を狙っていた、という話をした。

そうこうするうちに「次の機会」が巡ってきた。

チャンスは意外な人が運んできてくれた。

ある日、当時ウチの執行役員だったKくんから、

「こんなメッセージが来てますよ」と報告があった。

こういう、一見なんてことのないメッセージが人生を左右することがある。

以前のビジネスでお付き合いのあったBさんから、メッセンジャーでコンタクトがあったとのこと。

もともとこの人とは、10年近く前、FPとしてのお付き合いだった。

そもそも海外投資関係の人。

それが、Facebookでの私達の、グループホーム関係の発信を見ていてくれたらしい。

「私も富山で福祉関係の事業をやってますよ」というメッセージをくれたのだった。

継続して情報発信をするのはとても大事だ。

かつて全くの別分野で付き合いのあった人が、何年も経過した後に、全くの別の分野で再会。

人生って面白いよね。

結局これが私たちの運命を大きく変えることになったのだ。

何かを感じた私達は、二人で富山に飛んだ。

これが障がい者就労支援事業との出会いだった。

まだ寒い時期。

富山では雪がちらついていた。

就労支援の事業所を見学するのは生まれて初めて。

で、驚いたね。

1)スタッフさんが帰るのが早い!

障がい者さんは午後3時半には仕事が終わり、4時には帰路につく

その支援をするスタッフさんたちは、彼らを見送った後、軽く終礼

で、5時にはいそいそと退社する。

そして、オーナー兼社長のBさんも、午後5時半にはオフィスを閉めてしまう。

聞くと、土日祝も原則出ないとのこと。

基本、一年中誰かを配置しなければならないグループホームに比べ

な、なんというホワイトな職場!

2)職員さんの顔が明るい。

保険代理店から福祉に多角化し、グループホームと就労支援の両方を経営している、ある経営者はこんな風に語っていた。

「グループホームは住まいを提供する。

当然利用者さん(障がい者さん)も家に帰ればつい地が出る。わがままになる。

そんな彼らを夜から朝までサポートする世話人さんにとってはストレスを感じる場面も出てくる。

それに対して、就労支援は昼間の職場を提供する場なので、利用者さんもそこはよそ行きの顔をする。

スタッフさんにしても、対応は平日昼間の4時間半だけ。

その上、土日祝や年末年始は休み。当然、心理的負担が全然違う」

経営者にとって、メンバーの心理的ストレスはしんどい。

これが溜まると、人は辞めてしまうからね。

経営上の大きなリスク要因だ。

私が経営していたグループホームは、1年ちょっとで、5棟まで増えた。

急成長といっていい。

月次ベースでとうに黒字転換して、毎月数百円の収益がしっかり残るようになった。

年商も1億円が見えてきた。

まだまだ成長するポテンシャルはあった。

しかし、だからといって「の10棟にして年商も2億円にしよう」と号令をかける気にはならなかった。

それは、メンバーの心理的ストレスの重さだった。

それに対して、昼間の時間、職場を提供する就労支援事業は、構造的にメンバーの心理的負担がずっと軽い。

その明るい表情を見て、これだ!と直感した。

だけど、自分が手がけるにあたって、ちゃんと利益がでるかどうかは大事なポイントだ。

そこはそれ、ビジネスなので、しっかりと確認する必要がある。

で、Bさんに「ぶっちゃけどうなの?」と訊いた。

Bさんは会計の数字を見せてくれた。

(この辺りが、古い友達の有り難さだ)

収益性の高さに驚いた。

で、この分野に賭けよう、と決意した。

新しいことを勉強するにはその分野でビジネスをするのが最も早い

ということで、BさんからFC本部を紹介してもらい、ビジネスパートナーとなった。

その集客をお手伝いしながら、講座を開催するなどして、知識とノウハウを自分たちの中に少しずつ蓄積していった。

変化は思いがけない別の変化を呼ぶ。

そんな中、「事件」が起きた。

この事業の関与を増やしていったがために、

大切な人に去られるという事件が起きたのだった。

(次号に続く)

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